旧正月に、友人カップルから「僕らの家でバーベキューをやるからおいでよ。」と呼ばれた。
旦那の仕事繋がりで知り合った50代前半のインド人夫婦。かれこれ2年の付き合いになり、何度か外で一緒にディナーをしたりと家族ぐるみで親しくしてきた大切な友人だ。
イケメンで頭のよさそうな息子は今年からオーストラリアの大学に入学し、「寂しいわ。」と何度も奥さんは言ってたのだ。
旦那のほうは世界各国を駐在でまわる、アメリカの医療会社のお偉いさんだ。投資や株も趣味なので、もちろん「相当な金持ちなんだろうな。」とは思っていた。
ただ、ここはクレイジーリッチが集まる国、シンガポール。
7年もこの国に暮らしていると、世界各国に仕事で回ったことがあろうが、別荘をもっていようが、ファーストクラスで出張に行っていようが、大手会社の社長だろうが、「ああ、そうなんですか。すごいですね。」(棒読み)という感覚に陥ってしまうのだ。
数年前に、北海道の実家の田舎で友人に、聞かれたので「給料は50万くらいだよ。」と言ったところ、市役所で働く友人は「市長よりも稼いでいる!」と驚き、私を羨望と嫉妬のまなざしで見ながら、「毎日豪遊できるな。」とか言ってきた。
その噂は瞬く間に街中に広がり、高校以来一度も会ったことのない同級生から「海外で成功しているらしいですね。」とフェイスブックでメッセージが届いたりした。
それが感覚の違い。いうまでもないことだが、シンガポールで給料50万で豪遊はもちろんできないし、成功とも程遠い。
話はそれたが、その「仲の良い普通のお金持ちであろう友人夫婦」に、はじめて旧正月の連休に家に招待された。
彼らの家がセントーサ島にあるというくらいでは驚かない程に、私たちはクレイジーリッチの国になじんでいたのだ。
そして当日、行きついた先は、豪邸だった。
セントーサ島の、さらにプライベートエリア、いくつかのセキュリティを潜り抜けてたどりついた。
私は即座に、バーベキューだと言われてカジュアルな恰好で来たことを後悔したが、だからといってドレスも変だったよな、などと目まぐるしく考える。
旦那はタクシーの中で一言「オーマイガー」と言った。
正門、そこから家の玄関までが道になってる。正門からあらわれた夫婦は、いつものように気さくに出迎えてくれたが、奥さんはインドのサリーを着てて素敵だった。
ああ、せめて娘には赤いおしゃれなドレスを着せてきてよかった。。
この家に集まった友人達も強者揃いだった。
投資家、プログラマー、脳外科の医者、Googleやマイクロソフトやフェイスブックで働いてて脱サラして起業家たち。
娘にはその日のために雇ってくれたというプロのベビーシッターが山ほどのおもちゃと一緒に待っていた。ただ、娘をシッターに預けたところで、完全に怖気づいた私は会話に楽しく入っていけず、別に泣いてもいないのに、ぐずる娘をあやす母親のフリをしてうろうろしていた。
「Year of 1982」と聞こえてくるので、私が産まれた年がなに?と思っているとワインの当たり年だといって38年もののワインの栓がどんどんぬかれてく。
この豪邸を、このきらびやかな人々を、高そうなワインを、食器を、犬を、あれもこれも写真におさめてネタにしたかったのだが、それがためらわれるくらいだった。
3台あるバイクを見せてもらい、2台ある車を、買い替えたばかりのヨットを見せてもらい、4匹のでかい犬と戯れ、気疲れして家に帰ってくると、お気に入りだった自宅が物置以下にさえ思えたけど。
自分の立ち位置と、幸せを、目指すものを見失わずに生きるのだ。
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