シンガポールの病院では、「麻酔を使った子宮のクリーンアップ(掃除)をしますよ。」という言い方をされたので、さほどのことでもないんだろう、と思っていたけれど、日本ではその手術のネーミングは「掻爬手術(そうはしゅじゅつ)」。なんという恐ろしい名前の手術名、その名前を見つけただけで私は震えあがってしまった。
英語でも本当は、この手術名は世にも恐ろしい名前が付けられているけど、英語がネイティブでない私のために簡単に説明したのかな、とも思うけど。
手術当日、緊張マックスで病院に入った途端に外から聞こえた「発砲音」!「パーン、パーン!」と。
え、テロリスト!?と思い外を見ると、警官がハトを銃で撃ち落とす姿が。そして、撃ち落されハトを素手で手に取りゴミ袋に入れ処分していく。周りには普通に通勤で会社に行く人々で溢れているが、警官も通行者もお構いなし。
これってシンガポールあるあるなの!?日常茶飯事なの!?と少し混乱し、手術の怖さもしばし忘れた。
そうしてだんだんと肝が据わっていった。
「時に人は後悔することもあるし、好きな人に逃げられることもあるかもしれない、親の病気で辛い思いをするかもしれないし、仕事を首になるかもしれない。子供ができても流産するかもしれないけど、子供ができない人もいる。撃ち落されたハトはかわいそうだけど、ハトの糞が人に及ぼす害はすごいらしい。そうやって世界は回ってるんだ。」だから大丈夫だ、と。私はへこたれない、と。
名前を呼ばれ手術室に入るとき、当然のようについてこようとした旦那は「は?あんたは入れないよ。」と看護師に冷たく邪魔者扱いされたので、手術室の前で無言でばいばいをした。
旦那の心配そうな顔を見ながら改めて思った。辛いのは、私だけじゃない。女は体の変化によって心の準備ができる。体で感じられない男の人のほうが、もしかしたらもっと辛い。
手術室に入り、初めて手術服を着てシャワーキャップのような帽子をかぶった私は、看護師に「パンツはこの台の上に置け。」と言われた。その台には手術器具がたくさんおいてある。使うたびに殺菌が必要であろう手術器具が置いてあるその台の上に、私がいままで履いていた下着を置いていいの?どこら辺に?とパンツを持ったままおどおどしていると、看護師は無言で私のパンツを奪い取り、台の上に無造作に置いた。
私のパンツが、先生が手術をするときに邪魔にならないことを願うしかない。
しばらくして颯爽とドクターが現れ、「麻酔の注射入れるよ。」という言葉と、看護婦の「スリープ、スリープ。(寝ろ、寝ろ)」という言葉を聞きながら、「寝ろ、って言われたからって寝れるわけないだろ。」と心で突っ込みながら、私は記憶を失った。インターネットで調べまくったときに書いてあった掻爬手術の前処置などは何もなかった。
夢の中、私は天まで続く緑のスポンジを、ぴょんぴょんと上へと登ってた。ふわふわと宙に浮きながら、緑のスポンジは大きくなったり、小さくなったり、形を変えながら、右へ左へ方向を変え、それでも目指す先は上。もっと高く、もっともっと上へ。
「おーい、じいちゃーん。おーい、ベボー(赤ちゃん)。でておいでー。大丈夫だよー。」と言いながら、私は二人を探し、上へ上へと飛び続けた。姿は見えないけれど、二人を追いかけていて、二人は上にいるという確信があった。
途中一度顔をぴしゃぴしゃたたかれ、どこかに連れていかれた感じはあったけど、私はまだ夢の中にいたくて、硬く目を閉じた。もっともっとここにいたい。この気持ちの良い世界で、大好きだった死んだじいちゃんと、赤ちゃんに会わないといけない。
しばらく真っ暗な暗闇の中にいる感覚で、また夢の世界に戻れるのを待っていたけど、急に、「あ、旦那が待っているんだ、戻らなきゃ。」と思い、目を開けようとした。私には帰るところがあるんだ、と。
目を開いたとき、私は泣いていた。「会いたかったけど、会えなかったな。でも、帰らなきゃ。」と。
手術前に棚にいたパンツは、知らないうちに履かされていた。
自分では何時間も記憶が飛んでいる気分だったけど、起きたら看護婦達に、「起きるのはやい!」と驚かれた。手術開始から、たったの30分くらいしかたってなかった。
手術室を出ると、旦那が心配そうに待っててくれた、その顔をみたときに「じいちゃんと赤ちゃんが伝えたかったことはこれなのかな。」と思った。
人生を誰かと一緒に共有するってことは、あんたが思ってるような簡単なことじゃないんだよ、と。嬉しいことも悲しいことも辛いことも、どんなときも、全力でぶつかって、全身全霊をこめて信じ抜いて、築いていかなきゃいけないんだよ、と。何年も何十年も、一生をこの人と一緒にいよう、と決めたんでしょ、と。まずは二人の関係をもっと堅く、確固たるものにしな、って。
手術後は、子宮がきれいになって、ふかふかベッドになるんだって。だからまた必ずきてね。
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