いくらは母が作るもの、と決めつけていたほどに、私の母は気づけばいくらの醤油漬けを作っていた。私が物心ついてから30年以上。
だから海外でも、いくらを自分で作ろうなんて発想にいたったことはなかったのだが、シンガポールのドンキで筋子を見つけた途端、私のチャレンジ精神に火が付いた。
今年はどうせ帰国できない。
よし、自分で漬けてみよう。
40歳を目前にして、筋子150g SGD33(日本円で2700円ほど)、というのが海外価格でバカ高なのか、ちょい高なのかさえの判断もつかない。
筋子を選ぼうとするも、何を基準に選べばよいのかさっぱりわからず、鮮魚コーナーをいったりきたりしながら、一瞬あきらめようかとも思ったが、意を決して筋子を購入。
その後意気揚々と母に連絡し、いまからいくらの醤油漬けを漬けるから、母直伝のレシピを教えてください、と申し出たところ、「ない。」と一言。
道産子の娘として、はじめて海外でいくらの醤油漬けを作る、と意気込んでる娘に、「醤油は昆布醤油を使うと味がしみるわ」、とか、「砂糖を一つまみだけ入れてごらんなさい」、とか「いくらをゆすぐときは塩をいれて」、とかアドバイスをできないものなんだろうか。母として。
古びたノートの切れ端に書いてある、秘伝のレシピを、「とうとうこれを渡す時がきたようね。」ともったいぶりながら渡してくれるくらいするべきだ。
そんな娘の気持ちに追い打ちをかけるように母は、「ネットで検索すれば?」と吐き捨てた。
さて、もう母には頼れない。ネットで検索をし、はじめて挑んだいくらの醤油漬け。
皮をむく作業が思ってたよりも数倍大変だった。
何度洗っても白い皮が浮き出てきて気持ち悪い。しかもなんかいくらっぽくない白い色になってるし。これ、ほんとに醤油に漬けたくらいでいくらになるん?と不安でいっぱいな気持ち。
毎年この作業をしていた母を想う。
筋子が店の店頭に並んですぐに、母はいくら好きな私と弟のために、いくらの醤油漬けを作り続けた。
私が東京に住んでいる時も、毎年せっせといくらを作り、それを送ってくれたっけ。
子供のために、おいしくなりますようにと願いを込めて、いつも漬けてくれたんだと思うと、筋子の皮をむきながら、涙がでてきた。
何度も何度も筋子を洗い続け、調味料を加え一晩寝かす。
おいしくなあれ、と、自分しか食べないいくらに願いをこめて、冷蔵庫に入れた。
翌朝、筋子はプチプチのおいしいいくらになっていた。
いくらから伝わった母の愛情を、母に伝えなければ。
すぐさま母に電話をして、自分で漬けたいくらはとびきりおいしかったこと、いくらの醤油漬けに母の愛を感じたこと、を伝えると、「またいくらの話~。」と鼻で笑われ、それでも繰り返す私の愛の叫びに、「いくらの話はもういいわ!」と一喝されたけど。
いいのだ別に。私だけがわかればいい。
海外で、自分で漬けたいくらの醤油漬けをご飯にたっぷりかけながら、日本にいる母へ愛を叫ぶ。
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