保育園で、娘の初めての遠足。
本来なら去年もあったのだろうが、コロナ禍で中止になったらしい。
バスで30分ほどの科学館に、クラスメイトと一緒に行くのだ。
今朝はいつもより早く行かなきゃいけなくて、朝起こした時にぐずるのかと思いきや、やはり楽しみだったのか「バス!はやくいこう!」と朝ごはんも食べずに家を飛び出そうとした。
保育園からは「おむつがすでにとれている子供も、遠足の日はおむつを履かせるように」という笑える案内が来ていたり、色々適当だったけど。
当日は、送りに来た母親たちはバスに乗る子供を見送るのかと思いきや、みんな子供を送ってすぐ帰って行ったので、少し拍子抜けした。
私は見たいのだ。娘のはじめての遠足、誰の隣に座るんだろう、とか、どんな顔をして出発するんだろう、とか、気になるじゃないか。
なんとなく私も家に帰ってきたけど、やっぱり気になって、保育園の前まで走って戻ったら、ちょうど子供たちが手をつないで保育園からでてきてバスにむかうところだったので、忍者のように隠れながら後を追った。
途中、同じクラスの子の日本人ママがいたので、「行きましょう!」と誘って、2人で隠れながら子供たちの後を追う。
先生たちは私たちに気づき、あきれ顔をしながら知らん顔をしてた。
バスに乗り込む子供たちをビデオに撮り、さあ帰ろうかな、と思った時、窓際に座る娘が見えた。
ちょっと緊張しながら、シートベルトをして座ってる。
私と一緒に乗りものに乗るときは、いまだに私の膝の上に座りたがる娘が、凛と前を向いてちゃんと1人で座ってる。
隣に座っているのは、仲良しのお友達ではないけど、クラスでもおとなしめの優しい男の子で安心した。
わたしは思わず、娘の名前を大声で呼び、ビデオを撮りながら手を振って、バスに駆け寄った。
まるで推しに駆け寄るファンだ。
ママ友も私についてバスに駆け寄るのかと思ったけど、ちょっとうしろのほうで控えめにたたずんでいる。
バスの中から私を見た娘は、おもいっきり苦笑いをして、恥ずかしそうに目をそらした。
ママ―と嬉しそうに笑顔で手を振ってくれるものだと、信じて疑ってなかった私は驚きを隠せず、それでもかまわずにぶんぶんと手を振って、「たのしんでー!」なんで大声で叫んだ。
そして気づく。これはあれだ。私の母親だ。
いつでも子供のことに顔を突っ込み、子供の気持ちを全く無視して、いついつでもしゃしゃりでてきた私の母親と同じことを、私は娘にしたのだ。
お友達と一緒にいて、自分が存在する社会の中に、急に自分の親だけがその世界に踏み込んできたときの、ちょっと嬉しいんだけど、それよりも恥ずかしい気持ち。
成長するにつれて、その気持ちは、ただの羞恥心と変わっていくのだ。
わかるよ、その気持ち、と娘に同感しながらも、母親のDNAを強く受け継いでしまった私は、うざい母親。自分ではどうにもコントロールができない。
そして、20人以上の子供たちを乗せたバスは、私だけに見送られて出発した。
笑顔で手を振り続ける私に、他の子供たちも気を使ったようにバスの中から手を振ってきた。
娘が楽しいと思えますように、と、いい経験になりますようにと、無事に帰ってきますように、と、うざいほど心の中で祈る。
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