フェイスブックのメモリーで、8年前の今日シンガポールに旅立った投稿があがってきた。
なぜかフェイスブックが毎年思い出させてくれ、そのたびに「ああ、もうそんな時期か。今年もがんばろう」という気分になる。
シンガポールに旅立つ日、友人達が車で羽田空港まで送ってくれ、みんなで見送ってくれたっけ。
私の大きなリュックや身なりや髪型、つまり全てが中国人みたいだと言われ、別れるときは「シンガポールに帰っても元気でね、謝謝、再見!」と、日本に遊びに来ていた中華系シンガポール人を見送るていで、みんなに大きく手を振られ、見送られた。
8年前32歳の時、今振り返るとあんな若さで独身だとか、キャリアをどうしようとか、後先なしだって悩んでたの?と40歳になった私は思うけど。
あのまま東京にいたら、私はたぶん、自分を見失い日々疲れ果てていっていた。
だからあの時、シンガポールのパワーに呼び寄せられるようにこの国に来たことは、今考えると正解だと言える。
あの時の自分の行動力のおかげで、旦那と娘に会えた奇跡をかみしめながら。
シンガポールに行くことを父親に言った時「自分がワクワクすると思う道に進んでいきな。」と背中を押してくれた父親だけど、本当は何を思っていたんだろう。
そのあと、今の旦那と付きあい始めたとき、「彼氏はフィットネスジム経営しているの」と言うと、信用できなくて1人でシンガポールに確かめに来た父親。
30を過ぎた女が、イタリア男に騙されてると思ったらしいんだけど、失礼な!
そんなこんなで、シンガポールに住みはじめて8年の日々が過ぎた。
シンガポールに住み続けたい理由
今までも物価が高く、特に家賃が高いと思っていたシンガポールなのに、まさかそれからさらに全てにおいて高くなるとは。 自営業の我が家は、シンガポールでいい暮らしができるようにと頑張っていたけど、頑張って頑張ってやっと今の生活を維持できる程度。
【完結】シンガポールで現地採用で働くまでの道のり⑨就職が決まりシンガポールでの生活がはじまる
日系の会社から、シンガポールに本当に住むかわからない人に内定は出せないと言われた私は、じゃあシンガポールに住んだら内定くれるってことよね?とかなりなポジティブ思考で、職がないのに単身でシンガポールに仮住まいをはじめた。 日本人ルームメイトと
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